阿弥陀経には極楽浄土の荘厳が説かれています。お浄土には美しい池があり、その中には大きな蓮の花があるのだそうです。その蓮の花が咲いている様子が、

青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光

であると説かれています。青い花からは青い光が、黄色い花からは黄色い光が、赤い花からは赤い光が、白い花からは白い光が放たれています。そのいずれも美しく、香りも素晴らしいと説かれています。

違う色が邪魔しあうのではなく、綺麗に調和して、お互いの色がお互いを輝かせ合い、育てあい、照らし合っているんですね。

私たちの世界では違う色は排除しようとしています。ここは赤の世界だから赤しかだめだ、ここは白の世界だから黒はダメだと。白は白のまま、黄色は黄色のまま、赤は赤のまま、黒は黒のまま輝いていける、存在していける世界がお浄土という世界です。

あなたはあなたのままでいいんだよ。黄色なら黄色のままのあなたでいいんだよ。無理にピンクになろうとしなくてもいいんだよ。どんなものであっても、存在を許される。あなたはあなたのままで素晴らしいんだよ。と、そんなことを教えてくださる蓮の花です。

そして、もう少し考えてみますと、私自身が青色の時もあれば、黄色の時もあれば、白の時も、黒の時もあるのではないでしょうか。

嬉しいときは黄色かもしれません。悲しいときはオレンジかもしれません。恥ずかしいときは赤かもしれません。絶望を感じているときは黒かもしれません。私自身が色んな色に変わるのではないでしょうか。

この「青色青光 黄色黄色光 赤色赤光 白色白光」は様々な人がいるということもありますが、様々な私がいる。とも受け取れるんですね。どんなときの私でも受け止めてくださり、意義を見出してくださるのが仏様の眼です。

青のあなたも、黄色のときのあなたも、白いときのあなたも素晴らしい。歩けるあなたも素晴らしい、歩けなくなったあなたも素晴らしい。喜んでいるあなたも、悲しんでいるあなたも素晴らしい。

よくご年配の方から「もうだめじゃ。つまらんよーなった。足も腰もいけんし、目も見えづらいし。耳も遠いし。つまらんよーなった。」と聞かせていただくことがあります。これは実感として本当にそうなんだろうと思います。できていたことができなくなることはすごく辛く、寂しいことなんだろうと思います。

しかし、私たちは「つまらん、役に立たんよーなった」と思っていても、そんなことないよ、あなたは素晴らしい!輝いている!と見ていて下さるのが仏様です。青色のときも、赤色のときも。どんなときの私も受け止めてくだっていると気づかされるのが「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」です。

そんな仏様の眼をいただきながら歩むことができるのが、お念仏の道です。