幼稚園の音楽発表会で・・・

息子が初めて幼稚園で音楽発表会に出場した時の話です。本番が近づくにつれ、家で何度も踊ったり歌ったりして大変楽しみにしている様子です。

「2回目の笛で立つんだよー、マラカスはこうやって持つんだよー、絶対見に来てねー」と色々と説明をしてくれます。手作りの衣装を着て、皆に見てもらいながら踊れる日が待ち遠しいのが伝わってきます。

前日になりました。父親の私は息子の期待に応えようと「お父さん明日見に行くからね。ビデオも撮るから、父ちゃんがどこにいるか見つけてね」と言いました。

一方妻は「お母さん見に行くけどね、お母さんの事探さなくていいからね。あなたからお母さんが見えなくても、お母さんはちゃんとあなたの事見てるから一生懸命踊りなさいよ」と言ったのです。その時はあまり何とも思っていなかったのですが・・・。

当日、本番前に隣の保護者の方が「昨年、息子に、『パパ発表会ちゃんと見に行くからパパがどこにいるか見つけてね』と言ったのです。すると息子が出番の最中、舞台上でずっと首を降って私の事を探すのです。そのまま探し続け、全く踊らないまま本番が終わってしまいました。」と笑いながら教えて下さいました。

私も全く同じ事を言っていたので「しまった!」と思いました。しかし同時に、連れ合いが言った「あなたはお母さんの事探さないくてもいいよ、お母さんの方があなたの事ちゃんと見つけているから、一生懸命踊りなさい」という言葉は案外いい言葉なのかもしれないと思いました。

私の言葉と妻の言葉。どちらが一生懸命踊れたかは明らかです。

仏様が見つけてくださってある

私と阿弥陀如来様の関係も近いものがあるのかもしれません。私からはいくら見ようと思っても如来様の姿は目で見る事ができませんし、いくら理解しようと思っても私の頭では思いも及びません。

その私に如来様は「ちゃんと私の事を見つけてくれよ、探してくれよ、理解してくれよ」と何かを求めていらっしゃのではありません。「あなたは私の事を見つけなくてもいい、私の方がいつでもあなたを見つけて、離さないでいるからね。安心して精一杯生きておいで」と仰って下さってあります

私が仏様を見つけていくというお話ではありません。仏様が見つけてくださっているから安心ですね、というお話です。

お念仏の中の生活

私は日常生活の中で手を合わせ仏様の方を向く時間はほんの少しです。ですから生活の中にほんの少しだけ、お念仏や仏縁があると思っております。しかし、そうではありません。

私が如来様の事を忘れている時も、如来様の方は、私を見つけ、願い、心配し、呼び続けて下さってあったのです。大切な人と別れて泣いたあの時も、食事がのどを通らない程辛かったあの時も、嬉しかったあの時も、恥ずかったあの時も、寂しかったあの時も、そして今も。

如来様のはたらきは私が求めるより先に、聞くより先に南無阿弥陀仏となって届けられてあります。そのように味わってみますと、生活の中のお念仏ではなくて、お念仏の中の生活を暮らしている私達であります。如来様の大いなる願い、はたらきの中に我が人生を味わっていけるのがお念仏の道です。

三次市 西覚寺