朝ドラ「エール」の主人公・古関裕而さんが作曲された「しんらんさま」についてです。
朝ドラ「エール」
朝ドラ「エール」の主人公になっているは作曲家の古関裕而(1909~1989)さんと奥さんです。
現在は放送休止となっており再放送しているようです。
ちなみに私は全然見てません(*’▽’)
作曲家 古関裕而
甲子園のテーマ曲「栄光は君に輝く」や、阪神タイガースの「六甲おろし」、「長崎の鐘」などずっと歌い継がれている曲を沢山書いていらっしゃいます。
ちなみに私は早稲田大学出身なのですが早稲田の校歌「紺碧の空」も作曲されています。が、しかーし、調べてみますと慶応大学の「我ぞ覇者」も作曲しているではないですか!!!どっちかにしてくださいよ(笑)あのライバルの歌も古関さんだったなんて、なんか古関さんの手のひらの上で踊らされていたような感覚ですわ!
仏教讃歌の作曲も
この古関さんですが、「みめぐみの」(昭和23年)・「青草は」(同年)・「しんらんさま」(昭和36年)の、仏教讃歌3点を作曲しているのです。
仏教讃歌「しんらんさま」
特に有名なのが「しんらんさま」です。
昭和35年、真宗10派で阻織する真宗各派協和会(現在の真宗教団連合)は、親鸞聖人700回忌大遠忌法要を記念して「親鸞聖人を仰いで、強く明るく正しく生きる生活のうた」という内容の聖人を讃える歌を作ろうと、歌詞を公募しました。入選したのは、滝田常晴さんの次の歌詞。
一
そよかぜわたる あさのまど
はたらく手のひら あわせつつ
南無阿弥陀仏 となえれば
しんらんさまは にこやかに
わたしのとなりにいらっしゃる
二
きらめく夜空 星のかげ
あらしにきえても かくれても
南無阿弥陀仏 となえれば
しんらんさまは ともしびを
わたしのゆくてに かざされる
三
この世の旅の あけくれに
さびしいいのちを なげくとき
南無阿弥陀仏 となえれば
しんらんさまは よりそって
わたしの手をとり あゆまれる
この歌詞に古関さんが曲を付け、仏教讃歌「しんらんさま」が誕生しました。
初めて披露されたのは大遠忌法要直前の昭和36年3月9日。本山前に竣工したばかりの本願寺会館で催された記念行事「親鸞聖人鎖仰講演と音楽の夕」で、龍谷大学男声合唱団が歌ったようです。2年後。昭和38年8月に「しんらんさま」日本コロムビアからレコードとして発売されました。島倉千代子さんが歌われました。
島倉千代子さんは「仏教讃歌を歌わせていただいたのは初めて。作曲者の古関裕而先生のタクトで、真宗関係の皆さまに見守られながらこの歌に取り阻んだ私の気持ちは格別でした。『しんらんさま』に、本当に親しく触れさせていただいたような気がします。私の一生に、きっと何か大きな力となり、光となってくださるものがあるという感激をもって歌わせていただきました。」と語られていらっしゃいます。
今でも多くのお寺や地域の老人ホームなどではこの「しんらんさま」が大好きなおじいちゃん、おばあちゃんがたくさんいらっしゃいます。
第一線で活躍されていた古関裕而さんと、島倉千代子さんの共演でしたから、当時の浄土真宗の門信徒の皆さんはとてもうれしかったのではないかと想像します。今で考えますと、坂本龍一さんが作曲で、安室奈美恵さんが歌ったようなものじゃないですか!?
「しんらんさま」から感じること
「この世の旅の あけくれに さびしいいのちを なげくとき 南無阿弥陀仏 となえれば しんらんさまは よりそって わたしの手をとり あゆまれる」
この歌詞の「あけくれ」というのがぐっときます。私たちは明け暮れて生きてます。お金稼がないといけない、子育てしないといけない、介護しないといけない、もっと立派にならないといけない、〇〇しないといけないと色んな忙しさに明け暮れて生きています。しかし、ふと立ち止まったとき、結局死んでいく人生何のために頑張っているんだろうと思うこともあります。「明け暮れ」ている私に気づかされる歌詞です。
人間の頭では死んでいくことは終わっていくことしか思えません。「天国とか言うけど、そうは言っても死んだらしまい」としか思えないのが本心かもしれません。死んでいくことは全て無くなってしまうこととしか思えないのが私です。だから寂しいし怖いし不安です。あまり考えたくもありません。私からすると死は行き止まりです。
しかし、親鸞さまは死は「終わり」ではないよ、「始まり」だよとおっしゃいます。お念仏申す人生はお浄土で仏様になる人生なんだよ、先に見送ったあの大切な人ともまた会えるよ、安心して、美しいお浄土を楽しみにして生きていきなさい。と灯をかかげてくださっています。
人生の中で、行き止まりを感じることがあります。もうどうすることもできない、どこかに一歩踏み出すことも不安で怖くて、どこにも進むことができないことがあります。しかし親鸞さまは私の手を取り、行き止まりではないよ、まだここに道がありますよ、と教えてくださるお方です。
お念仏申す人生は、どんな人生だろうともさみしい人生ではありません。